2026年8月25日、政府の知的財産戦略本部が、生成AI事業者に向けたプリンシプル・コードを公表しました。正式名称は長いので省きますが、中身は一言でいえば、学習に使ったデータの概要を自社サイトで開示し、権利者から問い合わせがあれば答えなさい、という原則です。法的な拘束力はなく、原則に従うか、従わない理由を説明するか、を事業者に求める方式です(記事末尾の出典参照)。
その4日後の8月29日、米国ではSony Music PublishingとWarner Chappellなどの音楽出版社が、Anthropicを著作権侵害で提訴したと報じられました。訴状の趣旨は、海賊版サイトからの取得やスクレイピングで楽曲や楽譜を集め、学習に使った、というものです。Anthropicは争う姿勢を示しています。さらにその1か月前の7月20日には、作家らがAnthropicを訴えていた別の訴訟で、15億ドルの和解が裁判所に最終承認されています。
この2つの出来事は、別々の国の別々の話に見えますが、AIを買う側の企業から見ると、同じ一点に行き着きます。AIベンダーが学習データをどこから仕入れたかが、買い手のリスクになる時代に入った、ということです。この記事では、この問題を食品の産地表示にたとえて整理し、調達の質問票と契約に何を書き足すかを、経営が決める3行にまとめます。
産地表示にたとえると
食品を仕入れるとき、産地と製造工程の表示を見ます。表示があるから安全だとは限りませんが、表示のない仕入れ先からは買いません。産地を偽装した業者が摘発されれば、その業者から仕入れていた店も、棚から商品を下げることになります。
AIの学習データは、この原材料にあたります。これまで、AIベンダーの原材料表示は、ほとんどありませんでした。何を学習させたかは企業秘密で、買い手は出来上がったモデルの性能だけを見て買っていた。プリンシプル・コードは、この原材料表示を求める仕組みです。米国の訴訟は、産地偽装の摘発にあたります。仕入れ先が摘発されたとき、棚から下げるのはこちらです。
プリンシプル・コードは、何を求めているか
コードの本文を読むと、AI事業者に求める事項は大きく2つの原則に分かれています。事業者向けの文書ですが、買い手にとっては、そのまま質問票の項目になります。
原則1は、自社サイトでの概要開示です。開示を求める項目には、使用モデルの名称と来歴、学習と検証に使ったデータの種類(検索拡張生成、いわゆるRAGで使うものを含む)、クローラの名称と収集期間、そして知的財産権を保護するための措置が含まれます。保護措置の中には、権利遵守の方針と責任体制を年1回見直して公表すること、robots.txtなどの機械可読な指示に従うクローラを使うこと、学習したログを一定期間保持すること、いわゆる海賊版サイトへのクロールを避けること、権利者向けの窓口を整備すること、が挙げられています。
原則2は、権利者からの照会への回答です。訴訟や調停などの法的手続きを行っている、または準備している権利者から、自分の作品が学習データに含まれているかを問われたら、一定の条件のもとで答える、という原則です。
拘束力はありません。コードには、営業秘密や安全性に関わる機微な情報の強制開示を求めるものではない、と明記されています。原則を受け入れる事業者は、自社サイトで公表したうえで内閣府の事務局に届け出て、事務局は届出のあった事業者の一覧を公表します。事務局は内容を審査しない、とも書かれています。つまり、届出の一覧は、産地表示をしている業者の名簿であって、表示が正しいことの証明ではありません。
もう一つ、買い手に関係する記述があります。自社が保有するデータだけで特化させたAIを、自社や自社グループの中だけで使う場合は、この文書の「生成AI事業者」に含まれない、と明記されています。社内向けのAIを作っている限り、開示を求められる側にはなりません。ただし、それを業界向けのサービスとして外に売り始めると、付け加えた部分について、事業者側に回ります。
米国の訴訟が問うているのは、学習ではなく入手経路
ここは誤解が多いので、分けて書きます。
7月に最終承認された15億ドルの和解は、作家らの訴訟によるものです。報道によれば、この訴訟では2025年に、書籍を学習に使うこと自体は米国法上の公正利用にあたるが、海賊版サイトから入手したことは別だ、という趣旨の判断が出ていました。和解の条件には、海賊版サイトから取得したファイルとその複製を破棄することが含まれています。8月29日の音楽出版社の訴訟も、訴状の趣旨は違法な取得経路です。
つまり、争点の中心は、原材料をどこから仕入れたかです。学習の適法性そのものは、主戦場になっていません。産地偽装の話です。その食材を使った料理まで違法だ、という話とは違います。この区別は、買い手が契約で何を守るかを決めるときに効いてきます。
日本の法律では、学習は原則適法。ただし例外がある
日本の著作権法には、第30条の4という条文があります。文化庁が2024年3月にまとめた「AIと著作権に関する考え方について」によれば、AIの学習のように、作品を鑑賞して楽しむ目的ではない利用は、原則として著作権者の許諾なく行える、とされています。米国より学習に寛容な法律だと言われる理由です。
ただし、文化庁の考え方は例外も示しています。情報解析用に販売されているデータベースを無断で複製する場合や、特定のクリエイターの作品群を狙って、その創作的表現を出力させる目的で追加学習する場合は、この条文が適用されないと考えられる、とされています。そして、これは買い手に直接関わることですが、生成物を使う段階は別の話です。生成したものが既存の作品に似ていて、それに依拠していると判断されれば、生成して使った側が侵害の責任を負う、というのが文化庁の整理です。ベンダーの学習が適法でも、自社の生成物の責任は自社に残ります。
補償条項は、何を守って何を守らないか
ベンダーの契約には、補償の条項があります。Anthropicの商用利用規約(2025年6月17日版)を例にとると、有償の顧客が規約に従ってサービスを使い、その出力について第三者から知的財産権の侵害を主張された場合、Anthropicが防御し、和解金や賠償金を負担する、とされています。一方で、顧客が出力を改変した場合、他社技術と組み合わせた場合、顧客が入力したデータに起因する場合、侵害を知りながら使った場合は対象外です。
読んで分かるとおり、この補償は出力に対する第三者の請求を守るものです。学習データの入手経路をめぐってベンダー自身が訴えられ、その結果としてモデルが使えなくなったり、サービスが変わったりするリスクは、この条項の範囲ではありません。産地偽装で仕入れ先が営業停止になったときの損失は、産地表示の保証ではカバーされない、ということです。継続性は、別の条項で確保する必要があります。
まとめると、こうなります。
| 買い手のリスク | 誰が主に負うか | 何で守るか |
|---|---|---|
| 生成物が既存の作品に似ていて、第三者から請求される | ベンダー(有償契約の補償)と自社 | 補償条項の範囲確認。改変・入力・故意は対象外 |
| ベンダーが学習データの入手経路で訴えられ、サービスが止まる、変わる | 自社 | 継続性の条項(事前通知、移行支援、データの返還) |
| 自社の指示で、特定の作家や競合の作品を狙って学習・RAGさせる | 自社 | 社内ルール。文化庁の考え方で例外とされる行為 |
| 社内AIを業界向けに外販し、開示を求められる側になる | 自社 | コードの「生成AI事業者」の定義を確認 |
経営が決めること。3行で足ります
調達と契約の話なので、技術部門だけでは決まりません。法務と購買と、AIを使う部門の三者に、経営が先に方針を渡す必要があります。指示は次の3行で足ります。
- AIベンダーへの質問票に、プリンシプル・コードの開示項目を写す。届出の有無、海賊版サイトの回避、学習ログの保持、権利者窓口の有無、RAGに使うデータの種類。届出がないベンダーは、落とす前に、なぜないかを聞く。コード自体が、説明があれば従わなくてよい方式だからです。
- 契約で、出力の補償範囲と、学習データ起因でサービスが止まったときの措置を確認する。補償が守るのは出力への請求だけ。止まったときの通知、移行支援、データの返還を、別の条項で確保する。
- 自社の生成物の責任は自社にある、と明文化する。特定の作家や競合の作品を狙って学習やRAGをさせない。社外に出す生成物は、似ているものがないかを人が確認する。
3行のうち、いちばん早く効くのは1です。質問票は明日から変えられます。そして、ベンダーの答え方で、その会社が原材料表示をどう考えているかが分かります。
結び
拘束力がないのだから様子見でよい、という受け止めもあり得ます。自分は逆だと考えます。拘束力がないからこそ、買い手が聞かなければ、表示は進みません。政府は名簿を作りましたが、名簿を見て買う人がいなければ、名簿に載る意味がない。
産地表示を定着させたのは法律より先に、表示のない商品を買わなくなった消費者でした。AIの学習データについても、買い手である企業が同じ役割を担うことになります。
出典(一次情報)
この記事の政府文書、訴訟、各社規約に関する記述は、以下の公開情報にもとづいています(いずれも2026年8月29日時点)。
- プリンシプル・コードの目的、適用対象(自社データのみで自社グループ内で使うAIは対象外、海外事業者も日本向け提供なら対象)、法的拘束力がないこと、コンプライ・オア・エクスプレイン、原則1の概要開示項目と知的財産権保護措置、原則2の照会対応、届出と一覧公表、事務局は審査しないこと:
生成AIの適切な利活用等に向けた知的財産の保護及び透明性に関するプリンシプル・コード ― 知的財産戦略本部(2026年8月25日) - 公表の事実と日付:
知的財産戦略本部、生成AIの適切な利活用等に向けた知的財産の保護及び透明性に関するプリンシプル・コードを公表 ― カレントアウェアネス・ポータル(国立国会図書館) - 音楽出版社によるAnthropic提訴(2026年8月29日、カリフォルニア北部地区連邦地裁)、訴状の趣旨、Anthropicのコメント、2025年の判断(学習は公正利用、海賊版入手は別)への言及:
Sony Music, Warner sue Anthropic alleging a 'brazen campaign' of intellectual property theft ― TechCrunch(2026年8月29日) - 作家らの訴訟における15億ドル和解の最終承認(2026年7月20日)と、海賊版サイト由来のファイルの破棄義務:
Court Grants Final Approval of $1.5 Billion Anthropic Copyright Settlement ― The Authors Guild(2026年7月21日) - 著作権法第30条の4の内容、適用されない例(情報解析用データベース、特定のクリエイターを狙った追加学習、一部のRAG)、生成・利用段階の侵害の考え方:
「AIと著作権に関する考え方について」【概要】 ― 文化庁著作権課(2024年4月) - 有償顧客への補償(出力に対する第三者の知的財産権侵害の主張を防御し、和解金・賠償金を負担)、対象外となる場合、顧客データを学習に使わないこと:
Commercial Terms of Service ― Anthropic(2025年6月17日版)
上記は2026年8月29日時点の公開情報です。法解釈は事案ごとに異なり、訴訟は係争中です。契約の判断は、必ず法務部門または弁護士にご確認ください。