AIが進化すれば、人間の仕事はなくなるのか。多くの仕事が代替されるという予測もあれば、AIは道具にすぎず仕事は残るという反論もあります。

ただ、AIを毎日の業務で使っていると、気になるのは別のところです。本当に失われかけているのは仕事そのものではなく、未熟な人が経験を積んで一人前になるまでの、成長の階段です。

これは若手の雇用問題にとどまりません。10年後の熟練者をどう生み出すかという、組織の持続性の問題です。そしてAI活用の議論のなかで、まだほとんど手つかずのテーマでもあります。

AIの恩恵の偏り

生成AIは自然言語で使えます。質問を打てば文章を書き、情報を整理し、分析や資料作成まで手伝ってくれる。プログラミングの知識も要らないので、誰でも同じように生産性が上がりそうに見えます。

実際に得をするのは、すでに知識と経験を持っている人です。AIの回答を前にしたとき、経験者は次のことを判断できます。

  • 何が正しく、何が間違っているか
  • 何が抜けているか
  • どの案が現実的か
  • どこにリスクが潜んでいるか

AIは回答を作れます。しかしその回答を評価し、自分の現場に当てはめる目利きは、依然として人間側の蓄積に頼っています。つまりAIは、能力の差を埋める道具であると同時に、もともとの差を広げる道具でもあるのです。

横断型人材の再評価

恩恵を受けるのは、専門特化型の人材(スペシャリスト)だけではありません。複数分野を横断する人材(ジェネラリスト)は、これまで専門家に頼るしかなかった領域を、AIの支援で一定水準まで自分で検討できるようになりました。問題を分解し、AIと専門家を適切に組み合わせられる人にとって、いまは追い風です。

単に知識が広いことと、分野をまたいで統合できることの差は、むしろ開いていきます。

若手の仕事が持っていた意味

経験者ほど得をするなら、経営の立場ではこう考えたくなります。ベテランとAIの組み合わせで仕事が回るなら、若手の採用を減らせるのではないか。教育に時間をかけるより、AIに任せたほうが速いのではないか。

短期的には、合理的な判断だと思います。数字にも出やすいでしょう。問題は、削った仕事の中身です。

議事録の作成、情報収集、データ集計、資料の修正。若手が担当してきたこれらの仕事は、雑務の顔をした訓練でした。議事録を書くから会議の論点がわかる。集計を繰り返すから数字の癖がわかる。修正を重ねるから、上司が何を見ているかがわかる。

私自身のキャリアも、大手小売の経営企画室で120万人分の顧客購買データを扱う仕事から始まりました。当時の集計や資料づくりの多くは、いまのAIなら一瞬で終わります。それでも、あの回り道で覚えた数字の読み方が、その後のコンサルティングの土台になっています。

経験の空洞化

人が一人前になる道筋は、おおむね次の順序でした。

単純作業 → 手順の理解 → 例外への対応 → 判断 → 方針の設計

AIが代替するのは前半です。そして厄介なことに、前半を飛ばして後半だけを身につける方法を、私たちはまだ知りません。判断力は、うまくいかなかった集計や、突き返された資料の記憶の上に育つからです。

入口の仕事だけが消え、階段の上に登る手段がなくなる。私はこれを経験の空洞化と呼んでいます。

それでも残る、選ぶという仕事

AIが最善の答えを出してくれるなら、判断力など要らないという見方もあるかもしれません。ただ、実際の現場では、ゴールがはっきりしている仕事のほうが少なく、利害関係者の思惑は絡み合い、結果の責任を負うのは人間です。

複数の案から何を選び、何を捨てるか。この決定は今後も人間の仕事として残ります。だとすれば、問題は一つに絞られます。その判断力を、次の世代はどこで身につけるのか。

AIを使いながら育てる業務設計

従来のやり方に戻す必要はありません。ただ、放っておいても人が育った時代の仕組みが消えた以上、育つ経験を意図して業務に組み込む必要があります。

第一に、AIの答えを終点にしない使い方です。若手がAIの案を受け取ったら、なぜこの案なのか、他にどんな選択肢があるのか、自分ならどう直すのかを言わせてから先に進める。ひと手間かかりますが、この往復が、かつての下積みの代わりになります。

第二に、経験そのものの設計です。実務のなかで自然に失敗できる機会が減るなら、過去の実例を使った演習(ケーススタディ)や失敗事例を教材にして、疑似的に経験を積ませる。私たちも200名規模の教育・研修を企画・実施してきましたが、実感として、知識を教える研修より判断を迫る演習のほうが人を変えます。

第三に、熟練者の頭の中の明文化です。ベテランが何を見て、どこで危ないと感じ、どう決めているのか。これを判断基準書として書き出しておけば、若手の教材になると同時に、AIに読み込ませる基準にもなります。育成とAI活用は、ここで同じ投資になります。

効率化の稟議に足りない一つの問い

AI導入の検討は、たいてい効率とコストの言葉で進みます。そこに一つ、加えたい問いがあります。

この業務をAIに任せたあと、人はどこで育つのか。

この問いを飛ばした効率化のつけは、5年後、10年後に、管理職や熟練者の不足という形で返ってきます。しかも、どの会社も同じ判断をすれば業界全体で中堅層が痩せていくため、一社の採用や研修だけでは取り返せません。

おわりに

AIが奪うのは仕事ではなく、経験の機会です。だからこそ、AI導入の判断基準には、効率だけでなく育成を含める必要があります。

私がお勧めしたいのは、AI活用の稟議や計画に「この業務を任せたあと、担当者はどこで力をつけるのか」という確認項目を一行加えることです。それだけで、効率化の議論に育成の視点が入ります。

階段は、なくなってから架け直すほうが高くつきます。いま登っている人がいるうちに、次の段の作り方を決めておく。それがAI時代の育成設計だと考えています。

DSB Consultingでは、AI活用を前提とした業務プロセスの再設計に加えて、熟練者の判断基準の明文化(判断基準書づくり)や教育・研修の設計までを一気通貫で支援しています。効率化と育成を両立させる業務設計について、整理の壁打ちからで構いませんので、無料相談をご利用ください。